
No.3
私が生まれた昭和28年の東京の渋谷区恵比寿において最も身近に存在した川は、その当時から巨大U字溝であった渋谷川と目黒川であった。幼稚園が目黒川、小学校・中学校が渋谷川の近くであったため、この2つの川は身近にはあったが、川としての愛着が湧くような対象ではなかった。このような環境で生まれ育ったため、川の思い出は多くはないが、それでも我が人生を振り返ればいくつかの川に係わる思い出がある。
私の家内の母親の実家が埼玉県の吉田町上吉田にある。ここは秩父市北西の山間であり、家の前の道を挟んで幅5m程度の川(吉田川)が流れている。ここまで来るとさすがに水はきれいで、夏ならば膝まで水に入って細い竹の先に糸と釣り針を付けた竿で水面を叩きながら上流から下流へゆっくり歩いていくと、魚が飛んでいる虫と間違うのだろうか針に食いついてきて釣れる。娘が小さい時はこの川が好きで義母が良く連れて行ってくれたが、義母も自分の小さい時を思い出すのか水面を釣竿で叩きながら川の中をひたすら行ったり来たりしていた。
この家から少し川を遡った所に平成11年合角(かっかく)ダムという重力式コンクリートダムが完成した。ダム本体工事中に近くから工事の様子を見たことがあるが、当時、ゼネコンに勤務していた私は工事規模や施工方法に興味を持って見ていた。その後、ダムに関する色々な問題や意見が出てくると実家の前のあの清流が残るだろうか、魚が以前と同じように釣れるだろうかと考えることもあったが、特に大きな変化があったとは聞いていない。今年の夏は、吉田へ行って大きくなった娘と義母と一緒に川遊びをしようと思う。 小学生の頃、川らしい川で身近だったのは多摩川だった。父親と一緒に電車で二子玉川園(当時、遊園地があった)に遊びに行き、帰りは多摩川の土手(専門的には左岸堤防)を東急東横線の多摩川駅(ここにも、多摩川園という遊園地があった)まで約1時間(4km程度か)散歩した記憶がある。私はアンチ巨人であるが多摩川園付近の河川敷にジャイアンツの練習グラウンドがあり、長島や王をすぐ近くで見たこともあり、この二人にはその頃から勝手に親近感を持っている。多摩川はこの当時から河川敷が整備されており、多くの家族連れや子供が遊んでいたこの風景がそれ以後の私のイメージする「川の風景」を作ったといえる。
多分、小学校に入るより以前の幼い頃、両親の田舎である山梨県で台風による洪水の後を見たことがある。両親の実家は甲府盆地のやや南側の釜無川と笛吹川が合流する地点に近い川の反対にそれぞれあり、釜無川の上流には、かの有名な信玄堤がある。私が小さい頃は、この付近の川(支川)は多くが天井川で、特に父親の実家に行くまでには幾つかのトンネル(今で言えばボックスカルバート。上は川)を通って行ったものだが、いつしか河川改修が進み、橋に変わっている。
私の体験した洪水では両親の実家は直接の被害を受けなかったようだが、近所の家の壁に付いた水の後や近くを通っていた山梨電鉄(これも今はない)の橋や軌道床が流されてレールが宙ぶらりんになってしまった風景は、断片的な記憶ではあるが今直強烈に焼きついている。また、両親の実家を行き来する際に富士川(釜無川と笛吹川の合流点より下流を富士川というらしい)渡るのだが、当時は主要な大きな橋以外は堤防より低い位置に架けられた木橋がかなり有り、誰か大人に「台風などで流されても直ぐに架けられるように木橋になっているのだ。」と教えられたこと、そして、河川敷の大きな石がゴロゴロした道路(?)を通り、その木橋をゴトゴトとバスで渡ったことを覚えている。これらの橋も今は当然のことながら、立派な永久橋に変わっている。
平成16年の夏、近年まれに見る数の台風が日本に上陸し、各地で洪水が発生した。山梨の両親の実家近くでは天井川の改修等の対策が功を奏したか近年洪水があったという話しは聞いていないが、多分同様に河川改修が行われていたであろう日本各地の河川で洪水が起きている。私が40年以上も前に見たのと全く同じ光景をニュースや学会誌等で見ると、自然の脅威(あるいは偉大さ)と安全な生活を保障する社会資本整備の重要性、その資本投下に対する近年の批判的な風潮、そして土木事業が作り出す新たな風景と自然環境に及ぼす影響等々、これからのわが国の土木事業(=社会資本整備)の難しさと共に一人の土木技術者としてはまだまだやるべきことがあるのだと考えるこの頃である。
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